海と島と人間と・・・・旅が好き!


by Satoe-Umeda
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2回目

私は愛知教育大を卒業したのですが、東京に出てきて、新卒で始めて勤めたのが武蔵野市の本宿小学校でした。ここには2年しか勤めてなくて、後、東大和で1年勤めて先ほどもいいましたが、私は人前で話すのが、大の苦手で、教員生活はやめてしまったのです。
今日、来てくださったなかに、もしかしたら、私の教え子がきているのではないかと、5年生を受け持ちしたので、今では39歳ですね。さっきから、その年頃のかたはいないかと、ドキドキしているのですが。
アパートは吉祥寺東町にあって、暇さえあれば、北口のアーケードの中ほどにある、「さかえ書房」という古本屋さんに、よく本を買いに行きました。
後で知ったのですが、あの「さかえ書房」の看板の字は金子さんが書かれたものなのですね。
その「さかえ書房」で何気なく買った詩集、それが金子さんとの出会いを決めました。新谷行「水平線」。跋は金子さんでした。
「手を泥で汚す作品と、手をぽっぽにいれたままの作品がある。いい時代ならば、手を泥につっこむようなことをしないで書いたものを、作者も読者も納得することができるが、今日のように「から約束」の時代には、泥の味なしに痛み場所をさらさないで、ひとのこころをつろうということは、むつかしくなった」
金子光晴といえば、尊敬はしていましたが、はるかな文学史の上でのひとで、まさかこんなに身近なところに存在しているなんて思ってもみなかったのです。
そしてその跋は、グイと私のこころを引っ掴みました。
で、詩集の発行元が「あいなめ会」になっているのを頼りに、編集人の松本亮さん・・30日にここでワヤンの話をされる予定ですが・・作品2編を送り、以後1969年からその第2次「あいなめ」が休刊となるまでの、ほぼ1年間、私はこの金子さんを中心とした「あいなめ会」の同人になったのでした。



それで、私が始めて金子さんにお会いしたのは、この「あいなめ」の合評会の席でした。
合評会はいつも四谷の旅館で行われるのですが、その日、金子さんは、少し遅れていらして、襖を
からっと開けて入ってこられました。
集まったみんなが、はっと腰を浮かせかけると、「あい」とかるく頷かれて、それからヒョイと机の上に片足をかけたかと思うと、とんとんと片足で跳び六法で少しよろけ、あっという間に、向かい側の自分の席に着かれました。
その日は外は雨風が強く、荒く息をつきながら小首をかしげて、無事おさまった金子さんの肩も胸も濡れていて、意表をつく、そういった行動が少しもヘンじゃなくて、それにみんなに一斉に見つめられて、少しあがっているみたいな、はにかんでおられるみたいななにか可憐な風情でした。
紺地の着物のしたに薄茶だったか、下着がみえましたが、お洒落でとても垢抜けてみえました。

詩人というよりは、飄逸な感じがしましたので、落語家みたいな芸人、芸人というよりは貫禄がありまし
たので、やくざの長老。やくざの長老というよりは、律儀な感じがしましたので、職人。職人というよりは
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by satoe-umeda | 2008-01-12 15:48