海と島と人間と・・・・旅が好き!


by Satoe-Umeda
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

3回目

洒脱な感じがしましたので、遊び人。遊び人というよりはやっぱり知的でしたので詩人。そんな言葉があれば、とびきり粋で上等な江戸人という感じでした。



その後、しばらくして、ひとりで吉祥寺のお家に伺ったとき、金子さんはちょこちょこと奥から出てこられて、「あ、あい。ま、あがっていらっしゃい」といわれ、奥に引っ込みながら、ちょいと襖の陰から半身をだして、にっとなんともいえない、不思議な笑顔で胸の辺で、ちいさく「オイデオイデ」のように振られました。
金子さんは、そんな風にときにおどけた仕草をなさるかたでした。
一人息子でいらっしゃる乾さんの奥さんの登子さんが、帰りの遅い金子さんを心配して、門の外に出て待っていると、金子さんが帰ってこられるのが見えて、登子さんが、凧の糸を引っ張る仕草をすると、着物の端を両手でピンと伸ばして、凧が舞い落ちてくるようにツッツッと走ってこられたというのを、何かで読みましたが、可愛らしいといったら失礼かもしれませんが、そういうところがおありでした。



金子さんは大体、初めての客は玄関横にあるおおきな応接間に通されます。
薄暗い黴臭いような応接間で、古色蒼然とした本が崩れるようにあって、ワヤンの人形とか古いジャワの壁掛なんかがありました。
で、お訪ねして2回目あたりからは、応接間ではなく玄関をはさんで丁度、応接間と反対側にあるのですが、3畳の小部屋の仕事場に通されることになりました。
ここで、金子さんの家のおおまかな間取りというか、雰囲気をもうしあげますと、その後、改築されてしまったのですが、この吉祥寺の成蹊大学前にございまして、昔の家ですので、ゆったりとした平屋でした。
例えば、玄関はたたきに続く、広いあがりがまちがあり、料理屋さんにあるようなおおきな衝立屏風が正面にでんとありました。
その奥に襖続きの和室が二つ。手前が奥様で作家であった森三千代さんの部屋で、森さんはそこにベットを置いて、寝ていらした。
森さんは昭和24年ころより急性関節リューマチに罹り、金子さんの亡くなられた2年後の昭和52年に亡くなられるまで、実の28年間も、そのご病気でした。
いつだったか、私がパンタロンというズボンで遊びに行きましたら、「森に見せてやって頂戴」といわれ、寝ていらした森さんにご挨拶したことがありました。
森さんはベットの上に背筋をピンと伸ばして、お座りになり、色の真っ白い、綺麗な小さなおばあちゃま
[PR]
by satoe-umeda | 2008-01-12 15:46