海と島と人間と・・・・旅が好き!


by Satoe-Umeda
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6回目

というのも書かれていて、これは職人の人達の聴き書きですが金子さんは「清水組」へのもらわれっこで、職人の世界をよくご存知で、また、お好きでしたので、私が企画で、金子さんの家で対談したのです。
この対談で今でもこころが痛むのは金子さんは、どんなときでも、玄関に出て見送られるのですが、斉藤さんがお帰りのとき、「はい、ご祝儀」といって、チリ紙に包んだお金をわたされたのです。本当なら編集人の私が気をまわさなくてはならないのに、気がつかなくて斉藤さんも「いやあ、金子先生からお金をいただくなんて」と恐縮されていました。
こういうことが多々ありました。
今でも申し訳なかったなあと心が痛みます。



小平での我が家での同人会は3回ほどでしたが、同人の佐藤英麿さんと連れ立って、その頃、我が家は6畳と4畳半だけの築ン十年の古家で、ものすごく汚かったのですが、実に楽しそうに参加されました。
2回目からは詩人の壺井繁治さんも、・・この方は壺井栄の旦那さんでもあるのですが・・同人になりました。金子さんは壺井さんとは戦前からの友達でしたので、これをきっかけにお付き合いを始められて、お二人で掛け合い漫才のように話が弾んでいたことを思いだします。
壺井さんも金子さんの後を追うようにして亡くなられましたけれど。
3回目は詩人の吉野弘さんなども参加されて総勢8人で、6畳の部屋びっしりでした。
「新潮日本文学アルバム」の「金子光晴」に、その時の写真が載っています。
で、こういった大勢の席になると、ほとんどお話にならない。
耳がお遠いということもあるのですが、自分があえてサービスしなくてもいい場になると、黙っておられる。フォーク歌手の高田渡を交えて吉祥寺の「ぐわらん堂」で座談会をしたときも、ほとんど壺井さんが、話をしていて金子さん静かでした。
で、我が家でのその同人会でも、金子さんはみんなの輪から外されて、ポツンと所在なさそうでしたが、いつも持ち歩かれる黒い肩かけカバンを持ったまま、お便所に入られたことがありました。
我が家はそのころ、汲み取り便所でした。
金子さんは2回もはいられて、どうしたのかなあと思っていたら、席に戻られて、にこにこ笑いながら、私の顔をみて、カバンの中から、万年筆を大きくしたようなペンライトをだして、「これで見ると、よく見えるの」と謎のようなことをいわれました。
今、考えても、よくわからない言葉です。

金子さんと浅草に2度ほど遊びにいきました。
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by satoe-umeda | 2008-01-12 15:36