海と島と人間と・・・・旅が好き!


by Satoe-Umeda
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<   2005年 10月 ( 12 )   > この月の画像一覧

釜無川カヌー下り

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29日の土曜日、秦野市にある「カワサキカヌー」で「四万十川下りの打ち上げ会」があり参加した。大阪やら茨城からの参加者もいて会はとても盛り上がり楽しかった!
実は私は四万十には参加していなかったのだが、カワサキさんが「梅ちやん、ブログ見ると元気ないみたいだから、元気つけにおいでよ~」と誘われたわけなんだ。有り難いことである。
奥様の手料理がおいしくて素晴らしくて「すごいなあ!」と私は感心してしまった。
写真はカワサキさんちのガオ。野田知佑の「ガクの冒険」のガクの息子だ。歳は私と同じくらい。むちゃくちゃ可愛い!
その晩は呑んでしまったのでカワサキ邸に泊まった。
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翌日、大阪のYさんと、秦野のHさんとカワサキさんとで山梨県にある釜無川を16キロ川下りした。写真ではカワサキさんは私の後ろで白い帽子しか見えない。残念である。
釜無川は水深は浅めだったが両側に建造物があまりなくて土手が続き、大きな瀬がないかわりに瀞場もなく、気持ちのいい瀬がテキトーにあって水もきれいで素晴らしい川である。
もっともこれは初心者コースで、上流は激しい瀬が連続してあるらしい。
私は春以来の川下りなので、「カワサキ命」とばかりにカワサキさんのカヌーのお尻にぴったりとついて必死であったが、自然のなかを悠々と流れていくのは本当に楽しかった。
でも疲れからか休憩地の川原にカメラを忘れてしまい、またみんなで取りに引き返したりして迷惑をかけてしまった。申し訳ないことである。
YさんもHさんもステキなタフガイのカヌーイストでほれぼれとしてしまった。
そしてその晩もカワサキ邸に一泊。
カワサキご夫妻。こころよりありがとう!
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by Satoe-Umeda | 2005-10-31 22:56

いきあたりばったり

この頃は日々がいきあたりばったりの暮らし方である。
以前はやらなくてはならないことを紙に書き出して、やり終わるとバッテンで消していた。
たとえば「トイレットペーパー、洗剤を買う。庭の雑草抜き。銀行お金おろす。ナントカの申し込み書だす。ナントカのお礼の電話する。病院へ行く・・・・・・etc・・・どっさり]
それをやめた。
朝食後、家の中をウロウロして、その時の気分で動くことにした。
今日は家中の部屋の片付けと床に掃除機をかけた。
昼から天気になったので洗濯。
畑から抜いたままになっていたサツマイモの皮を剥きに剥いて全部茹で上げる。
昼食はこのお芋にバターと牛乳。残りはスィートポテトでもつくろうかな。
シソ茶もヤカンいっぱいつくる。
シソ茶は畑で摘んだ大量のシソの葉をカラカラに干しただけのもの。
これがおいしい。家中にシソのいい匂いが漂う。
お芋を食べながら、ふと30年前もの昔、今は亡きアナキスト詩人の秋山清さんの家に遊びに行った時の事を思い出した。
実はサツマイモを食べる度に彼を思い出すのである。
彼の家のコタツの上にあった、ビニールの袋のなかの細長くて小さな二本のふかし芋のことを。
「これはね。僕のお昼ご飯なの」といった秋山さんの言葉とともに。
正直、その時は「秋山さんてビンボーなんだなあ!」と思った。
お昼をお芋だけで済ますということにビックリした。
でも、今、それで充分なのである。私も。
郵便受けを覗いたら暮尾淳から詩集ぼつぼつぼちら」(右文書院)が届いていた。
暮尾さんとは35年来の友達である。
でも最近は私は創作から遠ざかっているので忘れられたと思っていた。
忘れていなかったようだ。
有り難いことである。
本にはエッセーも入っていて石垣りんと伊藤信吉を偲ぶ追悼エッセイが素晴しい。
解説を堀切直人が書いている。
暮尾さんは秋山さんと大変親しかった。
そおいえば、秋山さんの全集が「ぱる出版」というところで進められているということを聞いている。
この時代に秋山清全集とは!
スゴイことだなあ!

今日のこれからは暮尾さんの詩集を読んで終わりとなるだろう。
多分。
いきあたりばったり、猫のような生活である。
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by Satoe-Umeda | 2005-10-27 18:52

いいお顔!

この10年間くらいの旅の写真を整理している。
ホームページにまだUPしていない「バックパッカーひとり旅」をなんとかUPしたいのだ。
でも、まさか、ホームページに載せるなんて思ってもみなかったので、徹底的に個人的な思い入れでしかまとめられない。
選んでいると、ついつい、楽しかったことのあれこれが思い出されて作業がはかどらない。
それにしても、旅をしているときの私の顔のなんと輝いていることよ!
いい顔だ!
まるで別人ではないか。
いや、本当に別人かもしれない・・・・・・。
今はエネルギーが底をついているので、旅していた自分が夢のように思われる。
再びザックをかついで、この家から出ることが出来るのだろうか?
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by Satoe-Umeda | 2005-10-26 00:49

秋日和

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最近は天気が良いので畑作業ばかり。
私のようなドシロウトでも、種をまけば、ちゃんと芽が出てそれなりに成長する。
不思議だ!
今日は採れ採れの春菊でお浸しを作った。うまい!
ステックブロッコリーが食べられる日が待ちどおしい!

日曜は高麗山を一人歩き。
モミジが太陽の陽に透かされて美しい。
今日月曜日は隣の秦野市までドライブ。
浴用タオルとテーブルクロスを買った。
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by Satoe-Umeda | 2005-10-24 22:58
近くの図書館でキートンのビデオをみつけた。
1931年作、トーキー3作目の「キートンの恋愛指南書」である。
萩原朔太郎の娘、萩原葉子の書いた本のなかで「朔太郎はキートンの顔に似ていると祖母が言っていた」というくだりがあって、いつか、確かめてみたいと思っていた。
ニコリともしないキートン。
でもそれがおかしくて笑える。
チャップリンより好きかもしれない。
容貌は確かに朔太郎に似ていた。
頼りなげなところも。
ただ、身長が朔太郎の方がずつと長身である。

同じ日に松尾季子著「辻潤の思い出」(虚無思想研究編集委員会発行)も借りる。
図書館のいいところは、思いがけない本に巡りあえることである。
辻潤は「ですぺら」を読んでいる。
だが松尾という女性が彼の晩年を一緒に暮らしていたということは、この本で始めて知った。
辻潤との思い出を冷静に淡々と書かれたいい本である。
辻潤は彼女のことを「天女」とも「菩薩」とも言っていたようだが、まことにその通りだと私も思った。
金子光晴から最晩年の辻潤のことはいろいろ聞いていた。
金子さんの心残りは「辻に約束のうなぎをご馳走できなかつたこと」
そして、金子さんの驚いたことは「辻はカミソリ一枚で刺身がうまくつくれること」だった。
解説を高木護が書いている。
高木さんの家にも詩人の岩本勇に連れられて遊びにいったことがある。
反骨の人である。
表紙の絵は息子「辻まこと」の手による。
私はむしろ親の辻潤や伊藤野枝より辻まことの生き方の方が近しい。
絵描きでありエッセィストでありギタリストだった。
でもそおいう肩書きが一番似合わない人だ。
彼の描いた「虫類図譜」は私の宝である。
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by Satoe-Umeda | 2005-10-17 12:44

バームクーヘン

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金、土、日曜日と上の娘が遊びにきた。土曜日には一緒に畑仕事。ブロッコリー、カリフラワー、メキャベツの苗順調。春菊順調。小松菜、大根の間引きをする。にんじん、白菜もまあまあ。畑の主と化したシソを全部、引っこ抜く。雑草の芽吹きが多い。
耕し方が足りないのだな。きっと。

写真は娘の手土産のアップルバームクーヘン。
中に焼き林檎が丸ごとひとつ入っている。
あんまり珍しいので写真に撮ってみた。
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by Satoe-Umeda | 2005-10-15 10:40

越前クラゲ


e0006048_23221912.jpg巨大なクラゲである
大きいものでは
傘の直径が2メートル
重さが150キロから200キロ
色は褐色がかった桃色だ

ここ数年大発生を繰り返していた
2005年 今年の秋は過去最高
推定5億だそうだ

中国北部の東シナ海で産まれ対馬暖流に乗って
日本海一帯に漂っている

十月半ばには津軽海峡を渡って太平洋側に
十二月には房総半島に押し寄せて来る

東京湾でも見付かった
東京湾もクラゲで覆いつくされるのだろうか

定置網がその重さで破れている
1体100キロ以上のものが
何百とかかるのだ
1000も2000もかかる時もある
かろうじて魚が混じっている
それを選り分ける漁師たちの疲れた顔
被害は1網1千万とも2千万ともいわれている

その光景も
とりわけ
海のなかの光景も
不気味につきる

いや
日本という島の周りを
桃色や褐色の巨大クラゲが
ユラユラと漂い漂い
埋めつくそうとしている光景は
なにかを強烈に暗示している

陸の私たちが
笑っている間も眠っている間も
海のなかで
彼らはひたすら
増殖し続けているのだ

一度の排卵が2億から3億

食べる管と排泄する管と
生殖する管だけの
グニヤグニヤしたものが

続々と
音もなく
日本を取り巻いているのだ
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by Satoe-Umeda | 2005-10-14 23:25

天野忠のこと

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山田稔著「北園町九十三番地 天野忠さんのこと」(編集工房ノア・2000年刊)を読んだ。
天野忠が1993年、84歳で亡くなっていることを、私はこの本で始めて知った。

この本は山田が1982年に始めて北園町にある天野宅に遊びに行き、以後1993年、天野の「死」までの10年間の思い出を書いたもの。
いわば、詩人のナマの素顔に触れたものである

30代の終わり頃、私は永井出版企画から出ている「天野忠詩集」(1982年刊)を買って読んでいる。548ページもある厚さ10センチはあろうかと思われる詩集である。
その後の、天野72歳の歳に出し、読売文学賞を受賞した「私有地」も買って読んだ。
しかしその後の詩集は全く読んでいない。
必要としていなかったのかもしれない。

天野忠は若い時から「若年寄り」で、50代の頃より、自分の「老い」や「死」をテーマに書き
続けてきた詩人である。
「老い」を練習し尽くし「死」を練習し尽した詩人。

最近、私もそんなことを感じる歳になって、再読し始めた矢先、先の「北園町・・・」を図書館で見つけたのだ。

あれだけ練習し尽したひとが、実生活ではどんな風であったか。

私はミステリーを読むような感じで昨夜、一晩で読んだ。

1988年 天野79歳の時に足の手術をうけ以後、車椅子の人になった。
それから5年後に亡くなっている。

結論から言えば、どんなに練習し尽しても、たとえ天野忠といえども、
「老い」も「死」も「大変だなあ!」ということ。
それでも、やっぱり、見事なものである。

その見事をどんな風に表したらいいのか判らない。
膨大な彼の詩集やエッセイ集が私を待っている。
それを「読め!」と促しているのだ。
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by Satoe-Umeda | 2005-10-14 13:42

深沢七郎とギター

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ネットで購入した「深沢七郎ギター独奏集・祖母の昔語り」が届いた。
1973年レコード録音したものを2003年7月に初CD化したもの。

始めて聴いた。

不思議な音楽である。
聴いたことのない旋律ながらこころ安らぐのだ。
昨日の夜から聴き続けているけど飽きない。

ギターの腕前はシロウトの私にはわからないが、中学生時代から
45年以上も弾き続けてきて、小説を書く前は日劇ミュージックホールのギター奏者で、
プロのギタリストだったのだから、うまいのだろう。
カッパブックスから「深沢七郎ギター教室」というものも出しているらしい。
18回以上、コンサートも開いている。

ギターは七郎の体の一部になっていた。
ギターはタオルや洗面器のようにいつもそばにあったと言っていた。
ギターを弾くことは病むことと同じだとも。

音が柔らかい。
押し付けがましさがまったく無い。
スゴイことだ。

武田泰淳が深沢七郎が自分の眼の前で弾いたとき「泣けるねぇ」といって
泣いたそうだが、
たしかに泣ける。
しかも何度でも泣ける。

それにしても、深沢七郎は小説家の七郎と別人のようだ。
髪の毛はあるし、ヒゲもある。
録音は59歳のときだが、もっと前の写真だろうか。

アルバムの最後に七郎が「楢山節」を唄っている。
お百姓さんの声だ。意外と優しい声である。

あぁ、一日中でも聴いていられる。
とろとろとまどろみながら聴きつつ、ふーっと向こうの世界に
跨いでいきたくなる。
あの世とこの世の境のような音色と音楽である。
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by Satoe-Umeda | 2005-10-13 13:09

山の学校の温泉

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中伊豆の山の中の小学校を温泉宿にした「やまびこ荘」に
一泊とまりで行ってきた。
友達とその子供の男の子と一緒に。
レトロで懐かしい木造校舎。
私の通った小学校は鉄筋コンクリートだったけれど、
懐かしいと感じるのはきっとそおいう遺伝子が
インプットされているのだろう。
とてもくつろげる。

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温泉は「かけ流し」で24時間。
外にあるプールも24時間の温泉プール。
部屋は1教室を二つに区切った大きさかな。
それでもずいぶんと広い。
清潔にリフォームされている。
客はウィークデーということもあって私たちと、小さな子供連れのご夫婦だけ。

食事もこころのこもったおいしさ。スタッフもステキな人柄だ。
丹前も寝巻きもタオルも歯ブラシも・・・・なにもかもが旅館なみで一泊4500円。
町営である。
安いなぁ!
いつまでも続いて欲しいなぁ!

贅沢な空間と時間の流れる宿である。
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by Satoe-Umeda | 2005-10-12 20:30