ていらした。
両手を帯にしっかりとかけ、顔は上向き加減に虚空を睨んでいらした。周りは賑やかな雑踏があったはずなのに、なぜか私は金子さんが無人の荒野にぽっんと立っておられる錯覚に襲われました。
それほど、金子さんの周りには寂寥とした空気が流れていたのです。で、「ごめんなさい」と駆け寄った私に、金子さんはからりと表情を変え、それはいつもの優しい金子さんでした。
遅刻ということでいえば、金子さんは一度も遅刻をしなかった。
いつも時間より早くいらして「文集」という文字が刷り込まれた緑色のノートに、ウオーターマンの太い万年筆で、何か書き物をしていらした。
金子さんはどこででも書かれるひとで、書斎よりも喫茶店とか電車の中とか腹ばいになり枕元で書かれることが多かったそうですが、「お待たせしました」と近づくと、さっと隠すようにして、しまわれるのが常でした。
それで別れの時間が来ると、金子さんは「じゃ」と、手を肩の辺まであげて、くるりと背をむけて、少しよろめくような足取りで帰られるのですが、その後ろ姿がものすごく寂しいのです。なんと表現したらよいのか。周りの風景が一瞬、みんな白茶けて、写真のネガにされていくような、途方もない寂しさといったらいいのか。もう二度と「金子さん」などと呼び止められない孤独感が、その後ろ姿にあって、あんな寂しい後姿を私はそれまでに見たこともなく、亡くなられた後もありません。
●
最も金子さんはひとりでおられるときは怖いほど寂しげな人だったと思います。
あの3畳間でも、そおいう金子さんを見たことがあります。
私はかならずご都合を聞いた上で、伺ったのですが、時には呼べども叫べども家の中は閑として音のないことがありました。金子さんがいらしても、お耳が遠いので、私の声など聞こえるはずもなく、仕方なくあがりこんで、3畳間を覗きこんで、ギョツとしました。
そこに金子さんは座っていらした。
実に暗澹たる表情でほとんど呆然として。
外は薄暗く明かりもつけないその部屋のなかには地獄の亡霊でもさまよっているかの様な陰鬱ななにかがみなぎっていました。
そのときすでに長編詩「六道」の構想に全力をあげて、取り掛かっていらしたのだと思います。そのころ、机の上にはいろいろメモあって、なかでも一際大きく「六道」とあり、丸印がつけてあったからです。
肉体の衰えは一段と進んでいて、それでもなお断ち切れない創作への欲望が、青白い炎をあげているような、まるで鬼火のようでした。
両手を帯にしっかりとかけ、顔は上向き加減に虚空を睨んでいらした。周りは賑やかな雑踏があったはずなのに、なぜか私は金子さんが無人の荒野にぽっんと立っておられる錯覚に襲われました。
それほど、金子さんの周りには寂寥とした空気が流れていたのです。で、「ごめんなさい」と駆け寄った私に、金子さんはからりと表情を変え、それはいつもの優しい金子さんでした。
遅刻ということでいえば、金子さんは一度も遅刻をしなかった。
いつも時間より早くいらして「文集」という文字が刷り込まれた緑色のノートに、ウオーターマンの太い万年筆で、何か書き物をしていらした。
金子さんはどこででも書かれるひとで、書斎よりも喫茶店とか電車の中とか腹ばいになり枕元で書かれることが多かったそうですが、「お待たせしました」と近づくと、さっと隠すようにして、しまわれるのが常でした。
それで別れの時間が来ると、金子さんは「じゃ」と、手を肩の辺まであげて、くるりと背をむけて、少しよろめくような足取りで帰られるのですが、その後ろ姿がものすごく寂しいのです。なんと表現したらよいのか。周りの風景が一瞬、みんな白茶けて、写真のネガにされていくような、途方もない寂しさといったらいいのか。もう二度と「金子さん」などと呼び止められない孤独感が、その後ろ姿にあって、あんな寂しい後姿を私はそれまでに見たこともなく、亡くなられた後もありません。
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最も金子さんはひとりでおられるときは怖いほど寂しげな人だったと思います。
あの3畳間でも、そおいう金子さんを見たことがあります。
私はかならずご都合を聞いた上で、伺ったのですが、時には呼べども叫べども家の中は閑として音のないことがありました。金子さんがいらしても、お耳が遠いので、私の声など聞こえるはずもなく、仕方なくあがりこんで、3畳間を覗きこんで、ギョツとしました。
そこに金子さんは座っていらした。
実に暗澹たる表情でほとんど呆然として。
外は薄暗く明かりもつけないその部屋のなかには地獄の亡霊でもさまよっているかの様な陰鬱ななにかがみなぎっていました。
そのときすでに長編詩「六道」の構想に全力をあげて、取り掛かっていらしたのだと思います。そのころ、机の上にはいろいろメモあって、なかでも一際大きく「六道」とあり、丸印がつけてあったからです。
肉体の衰えは一段と進んでいて、それでもなお断ち切れない創作への欲望が、青白い炎をあげているような、まるで鬼火のようでした。
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by satoe-umeda
| 2008-01-12 15:29