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海と島と人間と・・・・旅が好き!


by Satoe-Umeda
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8回目

ていらした。
両手を帯にしっかりとかけ、顔は上向き加減に虚空を睨んでいらした。周りは賑やかな雑踏があったはずなのに、なぜか私は金子さんが無人の荒野にぽっんと立っておられる錯覚に襲われました。
それほど、金子さんの周りには寂寥とした空気が流れていたのです。で、「ごめんなさい」と駆け寄った私に、金子さんはからりと表情を変え、それはいつもの優しい金子さんでした。

遅刻ということでいえば、金子さんは一度も遅刻をしなかった。
いつも時間より早くいらして「文集」という文字が刷り込まれた緑色のノートに、ウオーターマンの太い万年筆で、何か書き物をしていらした。
金子さんはどこででも書かれるひとで、書斎よりも喫茶店とか電車の中とか腹ばいになり枕元で書かれることが多かったそうですが、「お待たせしました」と近づくと、さっと隠すようにして、しまわれるのが常でした。
それで別れの時間が来ると、金子さんは「じゃ」と、手を肩の辺まであげて、くるりと背をむけて、少しよろめくような足取りで帰られるのですが、その後ろ姿がものすごく寂しいのです。なんと表現したらよいのか。周りの風景が一瞬、みんな白茶けて、写真のネガにされていくような、途方もない寂しさといったらいいのか。もう二度と「金子さん」などと呼び止められない孤独感が、その後ろ姿にあって、あんな寂しい後姿を私はそれまでに見たこともなく、亡くなられた後もありません。



最も金子さんはひとりでおられるときは怖いほど寂しげな人だったと思います。
あの3畳間でも、そおいう金子さんを見たことがあります。
私はかならずご都合を聞いた上で、伺ったのですが、時には呼べども叫べども家の中は閑として音のないことがありました。金子さんがいらしても、お耳が遠いので、私の声など聞こえるはずもなく、仕方なくあがりこんで、3畳間を覗きこんで、ギョツとしました。
そこに金子さんは座っていらした。
実に暗澹たる表情でほとんど呆然として。
外は薄暗く明かりもつけないその部屋のなかには地獄の亡霊でもさまよっているかの様な陰鬱ななにかがみなぎっていました。
そのときすでに長編詩「六道」の構想に全力をあげて、取り掛かっていらしたのだと思います。そのころ、机の上にはいろいろメモあって、なかでも一際大きく「六道」とあり、丸印がつけてあったからです。
肉体の衰えは一段と進んでいて、それでもなお断ち切れない創作への欲望が、青白い炎をあげているような、まるで鬼火のようでした。
# by satoe-umeda | 2008-01-12 15:29

9回目

声をかけるのをためらっている私に金子さんはようやく気づかれ、「あ、元気」と、今までの苦渋に満ちた表情はふいと、かき消され、はにかんでいるようなおおらかな笑顔を向けられました。
その明暗の激しい入れ替わり・
すごい人だと身震いしました。
金子さんは晩年、エロ話のうまいフーテン老人のようにマスコミに扱われて、飄逸というか、洒脱というか面白いトリックスターのような扱われかたをして、若い人達にも、ヒッピーの元祖みたいに思われ、それはそれで金子さんの一つの表情ではありますが、その下には寂しげな悲哀に満ちた、もう一つの表情が隠されていて、そして、これこそが金子さんの本当の素顔ではなかったかと私は思うのです。
そういう金子さんが私は、好きでした。

おおよそのところ、金子さんの素顔を中心にお話したのですが、後は折に触れ読んだ金子さんの書かれたものの中から、私の生き方というか、根っことなって根ついてしまった言葉の、ほんの6つほどを、拾いだしてお話したいと思います。

「理想は悲劇だ」
これはどこかで読んだ言葉でしたか。
どきりとしました。
金子さんは集団とか組織つまり「穴ぼこ」に入ることを徹底して嫌いました。「穴ぼこ」にはいれば、それが小さな穴ぼこでも、そこには政治性が生まれ、なんらかの正義なり理想が目指される。そのために気を揃えなくてはならない。
そういうことが人間をどんなに駄目にしているか。
人間はまず個人である。
その個人の考えを自由を、つまり「自分」を徹底して大事にする。
戦前、戦争中に書かれた「鮫」「おっとせい」などのいわゆる戦争抵抗詩、反戦詩と呼ばれたものも、なにかの政治的イデオロギーで書いたわけではなく、あくまでも自分の個を圧迫し、自分の自由を奪うものに、本能的に、生理的にほとんど、衝動的に抵抗したわけで、金子さんはそおいう意味で、徹底して自分の本能、生理に忠実だった。
誰がなんといっても嫌なものは嫌。嫌いなものは嫌い。好きなものは好き。そおいう我儘をとおしたひとだった。エゴイスト、我儘というと、なにか悪いことのように言われますが、集団の中で我がままを通すことほど難しいことはないのです。日本という国は、その点で、いざと言うときにはまず「個」が我慢することを強いる国なんです。
戦後民主主義とかなんとかいいながら、土壇場にくると、全体の方を大切にする。
金子さんは子供の頃、ツッパリで登校拒否児でしたが、あれから学校教育の本質は全然変わっていない。集団に従わない者は「協調性」がないという発想です。
# by satoe-umeda | 2008-01-12 15:28

10回目

理想の一番はっきりしたものは政治運動で、私がこの「理想は悲劇だ」という言葉に出会ったのは、丁度、連合赤軍の事件の真っ只中でした。中国の文化大革命も、カンボジャのポルポトも「理想」や「正義」の名のもとにどんなひどいことをしたか、数え上げたらキリがありません。
そういうことでいえば、今度の「オウム事件」もまったく彼らの「理想と正義」のために起こった悲劇で、なぜ、彼らがオウムに入ったかということでいえば、私は長編詩「寂しさの歌」の一節を思い出します。

「寂しさの釣りだしにあわないこと」
これは長い詩のなかにほんの1行差し込まれたフレーズですが、私の心にガッキと食い込んで、離れない言葉です。
その前後も含めて数行、読んでみます。
(遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争を持ってきたんだ。
 君達のせいじゃない。僕のせいでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。
寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣り出しにあって、旗のなびく方へ、母や妻をふりすててまで出発したのだ)
金子さんは、この詩の中で、大きな不安のある時代には人はひとりでものを考え、ひとりで立つことに耐えられない。なにか大きなものにすがりつきたくなる。そういうことの危険性を訴えています。
いつの時代にもそういう事はあるのですが、とりわけ今回のオウム事件に則して言えば、麻原彰光という人物を絶対的な存在として、その命令に従おうとする若者たちを見ていると、まさに彼らは「寂しさの釣りだし」にあっているんだと思ってしまいます。

どんなことがあっても自分を失わないこと、そのことの辛さに耐え切れなくなって、つまり「寂しさの釣りだし」にあって他の大きなものに自分を売り渡さないこと、それは私の生き方の根本で、金子さんから学んだ大きなことの一つです。

「人の期待に応えようとしてはならない」
これもどこかに書いておられたのですが、「人の期待に応えようとしてはならない。応えようとして、駄目になっていく人を何人も見た」
これもずっしりときました。
金子さんは小さい頃から画を描くことだけはうまかった。学校でもトップで、誰からも将来「絵描き」になることを期待されていた。でも見事にその期待に応えなかった。人から期待されれば、だれでも嬉しいことですから自分に無理をする。自分を失うことがある。そのことを警戒しなさいということだと思います。

「自分が堕落だと思わなければ、何人男を変えてもいい」
これもどこかで読みました。
# by satoe-umeda | 2008-01-12 15:26

11回目

「10人の男と寝ようが20人の男と寝ようが、自分が不潔だと思わなければ不潔でもなんでもない」
この言葉は女としてとても勇気づけられました。
男も女も好きになれば寝たくなるのが当然で、寝ないでいい関係を持つこともあれば、寝たことによって、わからなかったことが見えてくることもあります。
そういうことは男でも女でも同じことだと。
女だから不潔というのは片手おちであるといっているわけです。

「堕っこちることは向上なんだ」
これも金子さんの言葉ですが、金子さんには上昇志向のかわりに下降志向があった。普通の人間の反対なんです。金子さんは貰われっ子で、養父が亡くなった後に今でいう2億にちかい遺産が残ったのですが、実の親からの無心や金山に手を出したり、ベルギーで2年間暮らしたりして、約3年間でカラにしてしまう。その後、森さんと結婚してあばら家に近い家に暮らすわけです。そこの家賃さえはらえなくなって夜逃げを繰り返す。
借金取りに追われるような貧乏暮らしになる。
貧乏になると、関わりを恐れて離れていく人は離れていく。
金子さんはそのときのことを「犠牲の多い方法で人間を学んだ」
と、自伝の中で書いていますが、凄味のある言葉です。
お金持ちにはみんな一目おきますが貧乏人にはおきませんから。
中身は同じでも着ている洋服などで態度を変える人もいます。
そうして殆ど、無一文で森さんとともに海外へ5年もの無銭旅行をする。
オカマいがいがなんでもやったというくらい食い詰めて、飢え死にするしかないところまで追い詰められて、自殺まで考える。そこまで堕ちて金子さんは世間の最下層で生きる人達のことが、わがことのようにわかるようになる。
それはやはり「向上」だと思います。人生が深くなるわけですから。
先程、安南の国に伝わる伝説の詩を、この講演が始まる前に聴いていただきましたが、あそこで金子さんが歌っていた
「子よ、貧乏なんか恐れるな。岸伝いにゆく女の子を、水から首だけだして見送る子よ。かまわず丸裸で追いかけろ。それが君の革命なんだよ」
金子さんにとっても、この間の経験はやはり革命だったと思います。
詩の世界でいえば、デビュー作、華麗豪華な「黄金虫」の世界から、旅から帰って書いたあの人生の底を見てしまったような、透明な寂寥感のある「洗面器」と言う詩への、大転換、大変化が「革命」であったといっていいのでしょう。
金子さんは、結局、権威とか世間体とか、道徳とか、人間の外側を包む飾りをかなぐり捨てすっ裸の人間として生きたかった。すっ裸で勝負したかったのだと思います。
# by satoe-umeda | 2008-01-12 15:09

12回目

そうして生きていることを、なまなましく深く深く実感したかった。
誰からも後ろ指を指されないで、常識の枠に収まっていて、怖いものには近づかず、良識ある文化人として、浮気はするけど、上手にしてなんてことは、金子さんには縁がなかった。
そおいう世界は、本当に生きているというヒリヒリした実感からは、遠い世界だからです。

「作品とは自分の恥のことだ」
最後になりましたが、作品を書く上では「こんなことを書いてはいけないと思うものを書きなさい」とよくいわれました。「作品とは自分の恥のことだ」と。
これはなかなか恐ろしい言葉です。こおいう作品を書くという覚悟を持つことは、自分を裸にして晒し者にするわけですから。

以上、おおざっぱに私に影響を与えたといおうか、私の生き方にずしんと届いた言葉のいくつかを紹介いたしましたが、結局、金子さんから受け取った一番大きなものは、私の場合一言でつづめていえば、「ヒリヒリした生の実感を、どれだけ沢山感じて生きていかれるかが、人生の勝負だ」ということです。
そのためには思うがままに生きよう。思うがままに生きるとは「人生、一寸先は闇」と覚悟することです。
長い間、聞いてくださってありがとうございました。
# by satoe-umeda | 2008-01-12 15:01