病院へ行く
2005年 11月 02日
明日、鬱病を治すために病院へ行く。
昨日、川下りのブログを書いておいて、「ナゼ?」とこれを読んだ方は思われるかもしれない。
しかし、やはり今の私はオカシイのだ。
くだくだと病状をここに書くのはひかえよう。
私は過去に二回、鬱病を経験して二回とも薬で治してきた。
そう、鬱病は薬で治るのである。
今日、ネットで検索したら鬱病について医者が書いたものがあったのでコピーしておく。
『うつ病はこころとからだを活性化するセロトニンやノルアドレナリンといった脳内神経伝達物質の減少によって引き起こされると考えられています。
うつ病は気持ちの持ちようではなく、脳内神経伝達物質のバランスの乱れが原因で起こる1つの病気です。もう少し簡単にいうと、こころのガソリンが切れて元気がなくなった状態です。ガソリンが切れた状態で車を走らせ続けると車は間違いなく壊れます。うつ病も同じです。頭痛や肩がこるというのは、ガソリンが切れているというからだからのサインです。これを無視して無理したために、からだの一部が故障してうつ病になったと考えてみてください。そして、ガソリンを病院に補充しに行くと考えれば、もう少し肩の力を抜いて気軽に病院へ行けるのではないでしょうか。
うつ病は脳に原因があるのですから、脳を休ませることが必要です。頑張らずに休息を取ることが第一です。
しかし残念ながら休息だけではうつ病が治ることはなかなかありません。
病気であれば医者にかかるのがまったく自然のことです。うつ病は、きちんと治療すれば、大部分が2-3週間で効果が見えてきます。
責任感が強く、仕事熱心で、やる時は徹底的にやる。その一方で他人への配慮も忘れない。こういう性格をメランコリー親和型といい、うつ病になりやすい性格とされています。
メランコリー親和型の一途な性格のためか、うつ病と芸術は深い関係があります。古くはルネサンスの時代のミケランジェロ (Michelangelo, 1475-1564) がうつ病でした。
治療は比較的簡単です。薬を中心とした治療で、8割以上の人が2-3週間 で回復に向かいます。つまり、治療さえすれば、うつ病は大した病気ではないのです 。ただ一番の問題は、うつ病の人の半分以上が治療を受けていないことです。その理由はいろいろあります。うつ病になりやすいのは真面目で責任感の強い人が多く、自分の問題は自分で解決しようという傾向が強いこともそのひとつです。また、周囲の人も、心の問題は医療の対象ではないと考えがちです。こうしたことのために、治療が遅れたり、まったく治療されなかったりということが起こるのです。
苦しい時・つらい時にはまず自分の力で何とかしようとするのが当然でしょう。しかしそれには限度があります。というよりも、「うつ病」という病気が存在することを実感として知らないことが最大の問題かもしれません。うつ病が、医学的な治療を必要とする病気であることをはっきり知っていれば、少なくとも医者の診断を受けようと考えるのが普通ということになります
結論として、うつ病という脳の病気を、まず自分が知り、たくさんの人に知らせることが、うつ病を治すために一番大切だということになります。うつ病の治療法はもうはっきりしているのですから、極論すれば診断できれば誰でも治療できるのです。
周りの人間の注意することは不用意に励まさないことです。。
患者は「期待に応えよう」として、疲労しきった心と体にムチをうち、かえって負担になってしまいます。頑張って!と励ますよりは、休養をすすめましょう』
以上がおおまかな鬱病についての知識である。
そう、この4ヶ月間、私も「まず自分の力で・・・」と思い、人の励ましには有り難いことと思い、無理に無理を重ねてきた。
でもやっぱり無理をすると病気だから反動がものすごいのだ。
励ましてくれると有り難いと思い、申し訳ないと思うのだけれど、どうしても元気になれないのだ。今日も一日中、「生きていたくない」と思い続けてきた。
鬱病の苦しさはそれになった人にしかわからない苦しさだ。
ひとつは世間の人の「誤解」がある。
鬱というとひ弱な怠け者のかかるもので、病気ではなく「気の持ちよう」だと思っている人が殆どだろう。その誤解が患者を追い詰める。
私も2回も経験しているくせに、やはり「気の持ち方が悪いのだ」と思い込もうとして頑張りに頑張ってきた。
それと「鬱」というコトバを「こころのオチコミ」とか「ユウウツ」というコトバの代わりに使っていることが多いことだ。私もそうだった。
でも何度も言うように鬱病は脳内物質の問題なのだ。
だから、どんなに「気の持ち方」を改善しょうとしても、脳にセロトニンやらノルアドレナリンを送ってやらないことには元気がでないのである。
思い返せば、最初に病院に行こうと思ったのは7月の終わりごろである。
あの時、思い切って行っておけばここまで長引かなかったかも。
その後、何度も何度も行こうと思い、なぜかためらってしまった。
薬を飲むと車の運転ができないかも・・という心配もあった。
毎日毎日苦しかった。
早く行くべきであった。
鬱はこころが風邪をひいた状態なんだ。
風邪がこじれると厄介なように鬱も長引かせると厄介なんだ。
だから風邪薬を明日、貰いに行く。
診断は医者というプロにまかせればいい。
周りの人も病院に行く私を「風邪薬を貰いにいくんだ」と普通に思って欲しい。
特別な眼でみたり、ましてや「人生の敗残者」みたいな眼でみないで欲しい。
テレビをつければ、嫌なニユースばかり。
少し繊細な神経の持ち主なら「まいってしまう」世の中なんだ。
それでも人に迷惑をかけないよう、ストレスにさらされながら、がんばりすぎて、疲れすぎて、
脳が疲れているだけなんだ。
冬の間はゆっくりして、春には元気なウメダとして復帰したい。
けれどこのブログは書いていきたいな。
無理に元気そうにするのはやめておく。
そおいえば、鷺沢萌が自殺した時、その前日まで元気そうなブログを書いていたな。
どんなに苦しかったことだろう。
昨日、川下りのブログを書いておいて、「ナゼ?」とこれを読んだ方は思われるかもしれない。
しかし、やはり今の私はオカシイのだ。
くだくだと病状をここに書くのはひかえよう。
私は過去に二回、鬱病を経験して二回とも薬で治してきた。
そう、鬱病は薬で治るのである。
今日、ネットで検索したら鬱病について医者が書いたものがあったのでコピーしておく。
『うつ病はこころとからだを活性化するセロトニンやノルアドレナリンといった脳内神経伝達物質の減少によって引き起こされると考えられています。
うつ病は気持ちの持ちようではなく、脳内神経伝達物質のバランスの乱れが原因で起こる1つの病気です。もう少し簡単にいうと、こころのガソリンが切れて元気がなくなった状態です。ガソリンが切れた状態で車を走らせ続けると車は間違いなく壊れます。うつ病も同じです。頭痛や肩がこるというのは、ガソリンが切れているというからだからのサインです。これを無視して無理したために、からだの一部が故障してうつ病になったと考えてみてください。そして、ガソリンを病院に補充しに行くと考えれば、もう少し肩の力を抜いて気軽に病院へ行けるのではないでしょうか。
うつ病は脳に原因があるのですから、脳を休ませることが必要です。頑張らずに休息を取ることが第一です。
しかし残念ながら休息だけではうつ病が治ることはなかなかありません。
病気であれば医者にかかるのがまったく自然のことです。うつ病は、きちんと治療すれば、大部分が2-3週間で効果が見えてきます。
責任感が強く、仕事熱心で、やる時は徹底的にやる。その一方で他人への配慮も忘れない。こういう性格をメランコリー親和型といい、うつ病になりやすい性格とされています。
メランコリー親和型の一途な性格のためか、うつ病と芸術は深い関係があります。古くはルネサンスの時代のミケランジェロ (Michelangelo, 1475-1564) がうつ病でした。
治療は比較的簡単です。薬を中心とした治療で、8割以上の人が2-3週間 で回復に向かいます。つまり、治療さえすれば、うつ病は大した病気ではないのです 。ただ一番の問題は、うつ病の人の半分以上が治療を受けていないことです。その理由はいろいろあります。うつ病になりやすいのは真面目で責任感の強い人が多く、自分の問題は自分で解決しようという傾向が強いこともそのひとつです。また、周囲の人も、心の問題は医療の対象ではないと考えがちです。こうしたことのために、治療が遅れたり、まったく治療されなかったりということが起こるのです。
苦しい時・つらい時にはまず自分の力で何とかしようとするのが当然でしょう。しかしそれには限度があります。というよりも、「うつ病」という病気が存在することを実感として知らないことが最大の問題かもしれません。うつ病が、医学的な治療を必要とする病気であることをはっきり知っていれば、少なくとも医者の診断を受けようと考えるのが普通ということになります
結論として、うつ病という脳の病気を、まず自分が知り、たくさんの人に知らせることが、うつ病を治すために一番大切だということになります。うつ病の治療法はもうはっきりしているのですから、極論すれば診断できれば誰でも治療できるのです。
周りの人間の注意することは不用意に励まさないことです。。
患者は「期待に応えよう」として、疲労しきった心と体にムチをうち、かえって負担になってしまいます。頑張って!と励ますよりは、休養をすすめましょう』
以上がおおまかな鬱病についての知識である。
そう、この4ヶ月間、私も「まず自分の力で・・・」と思い、人の励ましには有り難いことと思い、無理に無理を重ねてきた。
でもやっぱり無理をすると病気だから反動がものすごいのだ。
励ましてくれると有り難いと思い、申し訳ないと思うのだけれど、どうしても元気になれないのだ。今日も一日中、「生きていたくない」と思い続けてきた。
鬱病の苦しさはそれになった人にしかわからない苦しさだ。
ひとつは世間の人の「誤解」がある。
鬱というとひ弱な怠け者のかかるもので、病気ではなく「気の持ちよう」だと思っている人が殆どだろう。その誤解が患者を追い詰める。
私も2回も経験しているくせに、やはり「気の持ち方が悪いのだ」と思い込もうとして頑張りに頑張ってきた。
それと「鬱」というコトバを「こころのオチコミ」とか「ユウウツ」というコトバの代わりに使っていることが多いことだ。私もそうだった。
でも何度も言うように鬱病は脳内物質の問題なのだ。
だから、どんなに「気の持ち方」を改善しょうとしても、脳にセロトニンやらノルアドレナリンを送ってやらないことには元気がでないのである。
思い返せば、最初に病院に行こうと思ったのは7月の終わりごろである。
あの時、思い切って行っておけばここまで長引かなかったかも。
その後、何度も何度も行こうと思い、なぜかためらってしまった。
薬を飲むと車の運転ができないかも・・という心配もあった。
毎日毎日苦しかった。
早く行くべきであった。
鬱はこころが風邪をひいた状態なんだ。
風邪がこじれると厄介なように鬱も長引かせると厄介なんだ。
だから風邪薬を明日、貰いに行く。
診断は医者というプロにまかせればいい。
周りの人も病院に行く私を「風邪薬を貰いにいくんだ」と普通に思って欲しい。
特別な眼でみたり、ましてや「人生の敗残者」みたいな眼でみないで欲しい。
テレビをつければ、嫌なニユースばかり。
少し繊細な神経の持ち主なら「まいってしまう」世の中なんだ。
それでも人に迷惑をかけないよう、ストレスにさらされながら、がんばりすぎて、疲れすぎて、
脳が疲れているだけなんだ。
冬の間はゆっくりして、春には元気なウメダとして復帰したい。
けれどこのブログは書いていきたいな。
無理に元気そうにするのはやめておく。
そおいえば、鷺沢萌が自殺した時、その前日まで元気そうなブログを書いていたな。
どんなに苦しかったことだろう。
by Satoe-Umeda
| 2005-11-02 00:36